… 案内係りのチェコ人女性(紺色の服の方)が私たちに内部を見せてくれました
(手前の黄色のジャケットの方はチェコ語の堪能な日本人ガイドさん)
元々このテレジンの街には18世紀、ハプスブルグ王朝時代のオーストリア守備隊の駐屯地があり、テレジンという地名は、マリア・テレジアからとったといわれている
駐屯地の高い要塞と厚い土壁(写真右)をナチスは収容所として利用するのに絶好の場所に思い、ここにチェコのユダヤ人を集めユダヤ人ゲットー(実態は強制収容所)を作った
やがてその数は14万人にも及び、そのうち4分の1の人々は過酷な環境に耐え切れず病死、残り4分の3の人々はアウシュビッツの収容所に送られ虐殺されるという大悲劇が起こった場所
これ以上の説明はあまりに残忍で筆舌し難く、詳しくお知りになりたい方は「テレジン強制収容所」でご検索下さい
でもここで見たことを忘れないよう写真だけ残します